東京23区の第一ブロック(千代田、中央、新宿)に割り当てられる自立支援センター。神田にあった千代田寮が期限の5年が過ぎ、今度は中央区が受け持ち、晴海にある都有地で自立支援センター中央寮開設の運びとなりました。一昔前の中央寮は茅場町のカラオケボックス改修の変な施設でしたが、今度はしっかりとした施設となりました。何せ場所が良い。最寄りの駅は月島駅。晴海の超高層マンション群が見渡せられ、商業地域も多くある一等地です。定員は50名前後。第一ブロックでは初めての全室個室形のセンターとなります。自立支援センターは仕事探しのため、多くの仲間が福祉事務所を通し利用します。一人でも多くの仲間が、より良い条件で就職できるよう願っています。

 

 

ちなみに中央寮から徒歩15分ぐらい、月島駅を越すと佃島があり、石川島人足寄せ場の跡地があります。

  以下、連絡会チラシ7月22日号より
「月島」と云えば「もんじゃ」「佃煮」など、かつては江戸情緒がある、とても歴史のある街であるが、我々がすぐさま思い浮かぶのが「石川島人足寄場」の所在地。「鬼平犯科帳」の愛読者なら知っている通り、かの長谷川平蔵がその設立に深く関わったのが、この「人足寄場」。
 「享保」の時代、大飢饉があり、江戸に流れる「無宿人」問題が社会問題にもなっていた頃、それらの人々に「屋根」と「食事」と「仕事」のある場所を提供し、働いたお金を溜めてもらい、そのお金で再起をしてもらおうと云う、まさに今の「自立支援センター」の先駆けといっても良い「更生」「授産」「自立」のための施設でもあった。期間は3年とか5年とか、今よりもっと長期。定員は300名から500名前後だったと言われている。時代が時代なため過酷なこともあったとは思うが「鬼平」さんが知恵を絞り、生涯をかけその運営に取り組んだぐらいだから、とても社会的に意義のあった施設であったのだろう。「人足寄場」は明治維新政府によって廃止されたが、150年ぶりに、この地に同様の施設が復活するとは、何とも言いようがない貧民の歴史の連続を感じ、とても感慨深い。
 「石川島人足寄場」の跡地は今は区立の佃公園。「寄場」の人々の売上金から地元に寄贈された「石川島灯台」が復元されているのが、唯一のモニュメント。「中央寮」からは徒歩15分程度なので、幸いにして入寮できたら、散歩がてら、そんな貧者の歴史に思いを馳せるのも良いかも知れない。