第15次新宿越年の取り組みが無事終了しました。

 今年は実に多くの方々の支援を頂きました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
 まずは冬物衣類。クロワッサン誌に昨年の9月「世の中に役立てながら、モノ減らし」のコーナーに取り上げられたのがきっかけで、10月に入るや事務所閉鎖の危機にまで囁かれた(笑)、連日の問い合わせの電話とすごい量の配達。この勢いが年末まで止まず、越年期に集まった衣類の量は前年の約3倍。身内の方が亡くなったり、闘病生活をしていたりして男性もの衣類が余っているので、少しでも役立てたいとの、実にもったいない程のお気持ちで送って下さる方がこれほどまでいるとは、感謝感激です。おかげで今年の冬はおっちゃん達、衣類にほとんど困らず、しかも、例年2日か3日しかない越年期の衣類配布が、ほぼ連日の衣類配布となり、また仕分けなどのボランティア仕事も増え大変助かりました。送り状を整理してみると、この秋から年末までで新規の方で545名の方々に衣類送付に協力して頂きました。その他にも事務所にわざわざ届けて頂いた方も含めるとかなりの数の方々の支援を頂いた事になります。不景気の中、流通業の方々も多少なり恩恵は受けられたのではないかと思います。
 お米の方も今年も山谷農場、山友会の方々を始め、多くの方々からの寄付を頂き、こちらもどうにか無事に連日二回の炊き出しが出来ました。野菜もファミリーの皆さん、日本ボランティア会の皆さんなどから新鮮な野菜を分けてもらいおいしく頂きました。また、長野の「なかつか農園」さんがトラック一台分のりんごを運んで下さるなど、量はさまざまですが、食材についても多くの方々の支援を頂きました。
 炊出しは、期間中9600食を作成、延べ5691名(スタッフを除く)のおっちゃん達が昼、夜の炊出しを楽しみにし、足りなくなるなどの混乱はまるでなく、お腹のすいている人はおかわりも出来、毎日満腹になって帰って行きました。多い時は最大564名、少ない時でも320名が並びましたが、経験則からする食数調整はどんぴし
ゃり。途中プロパンガス不足になっても、急きょ事務所での飯炊き体制に入るなど危機管理もお手の物。飯がなくては越年は成り立たないので、最大限の注意を払い、多少の食材は余ってしまいました(余った食材は漬物などにしています)が、こちらも無事終了。調理を手伝ってくれた仲間や支援の方々、どうもありがとうございました。
 イベント関連もいつもの顔ぶれや新しいミュージシャンなどが揃ってくれました。炊出し前におっちゃん達を励まそうと、夏と冬に来て下さる方々の暖かい気持ちを受け止めたのか、おっちゃん達も今年は落ち着いて音楽などを楽しんでくれました。大須賀秀樹さん、大塚和人さん、フラメンコの皆さん(すいません、グループ名を失念)、玉木哲太郎&玉木ともこさん、島香純平さん、五十嵐正史とソウルブラザーズの皆さん、ラビーサリの皆さん、梅津和時さんとお仲間の皆さん、さすらい姉妹の皆さん、バイオリン弾きの大原さん、熱演、熱唱、ありがとうございました。
 また、出演交渉など企画、司会をして頂いた恩田さん、どうもお疲れさまでした。
31日の大晦日イベントも、3日の餅つきイベントも、お酒も入りおっちゃん達は本当に楽しそうでした。
  ちなみに、今年の新宿越年のお正月のお飾りの「大根じめ」などは、いつも農業研修でお世話になっている長野県千曲市「大わらじ委員会」の方々のご指導の下、仲間が手作りで作成したもの。このためわざわざ2泊3日で研修と交流に行って来た程、熱が入っていました。物もそうですが、こう云う形で都会と地方のつな
がりが出来るのも日頃の幅広い活動の成果とも言えるでしょう。いつも日本の農民文化を熱心に教えて下さる宮本先生、田島先生、ありがとうございました。古代米も炊出しに使って好評でした。
 そして、越年と言えば医療班の活躍を抜きには出来ません。29日から医療テントでの24時間体制が整えられ、常時の医療相談、そして集中医療相談会が中央公園で2回、戸山公園で1回行われ、またNPOコスモスさんからお借りした大テントで鍼灸あんま治療会も行われ、年末年始の仲間の健康管理を徹底して行いました。今年
は通常の医療テントはもちろんいつも万床。その他に感染症用の小テントと家族用テント4基も稼働と、例年になく保護が必要な方々が増えています。期間中3件の救急入院、年末に新宿福祉事務所の協力を得て確保した緊急宿泊所に3名の入所と医療班は今年もフル回転の一週間でした。長期高齢化が傾向として言われています
が、医療班に運ばれるおっちゃん達もまさに長期化、高齢化の末に病状を崩した方々が多かったようです。また、年明けの5日は恒例の福祉行動を行い、専門的な治療が必要な人は福祉を通じて医療へつなぐ事が出来ました(すんません、統計がまだ取れていないので全体的な正確な数字は後日ご報告します)。医療班のスタッフの皆さんも本当にお疲れさまでした。
 パトロール班も越年期は重要な役割。新しい仲間に越年事業の宣伝をしたり、年明けのいろいろな施策の情報提供をしたり、病気の仲間を医療テントにつれて行ったり、傾向をつかむために概数を調べたりとこちらは夜な夜なあちこちへ。深夜広域を含めて周辺部を車で回ったりした結果、路上生活者が前年度比で2割程度は増えているが、その分布は新宿駅を中心にした旧来のエリアに限られ、広域的にはそう増えておらず、逆に減っている事が判明。最終の深夜パトでは、終電の終わった
新宿駅周辺をひたすら2時間近く歩き回り、327名と云うカウントを打ち出しました。これを基礎にその他の地域を加算すると、推計で高田馬場周辺約120名前後、新宿駅の広い範囲(中央公園、新宿3丁目の駅、新大久保駅の手前、新宿サザンテラスまでの範囲)の周辺で推計約550名、この二つの地域の計約670名前後がこの越年期に新宿区内で野宿を余儀なくされたと云う数字になります。おっと、そんなにもと言う方々がいるかと思いますが、前年度比では確かに増えてはいるものの、かつてはそれ以上の人々がこの地には居た(03-04年越冬では中央公園を除いた駅周辺だけで656人がカウントされている)のであり、いつもの光景に戻ってしまっただ
けです(東京都の概数調査はいつの時代にもこれら移動層の人々を数え忘れているので、都調査数を前提とすると愕然とするが)。いずれにせよ、不況の足音は路上にも来ており、ここ数年の景気好調を背景に実施された施策の成果が、まるで無かったかのよう、再びの同じ光景がパトロール班の目に焼き付いたのでした。いずれにせよ、こちらの活動に参加された方々もご苦労さまでした。
 また、物資班の方々、機材係の方々、設営、撤収を手伝ってくれた仲間の皆さん。事務所の留守番役さん。裏方あっての越年事業です。仲間が支える新宿の越年は今年も健在でした。ご苦労さま!。
 また、雨や雪を降らせず、いつもより暖かい陽射しをくれたお天道さま、本当にありがとう。