天災、人災と路上生活者

 今や都市において当たり前のような光景ともなっている、いわゆる「段ボール村」や「テント村」と云う存在が、いかに安全性に乏しく、はかなく、そして脆いものなのかを、私たちは9年前の新宿での出来事(火災事故)で知っている。それは良く考えてみれば常識的な事なのであるが、人はどうしても特異なものを見る場合、そこに潜む本質的な問題を見逃しがちでもある。
 その居住形態はいかに外見が立派だとしても、それは所詮インフォーマルである。そこに底辺の人々の英知が隠されていたとしても、インフラとは隔絶された環境の中にある。社会とか、都市とかに包摂されず、逆に孤立した状態のままの居住環境である以上、あらゆる意味での安全はそこにはない。そんな不安定な状況のまま年月を重ね、「村」は今も、消滅と形成を繰り返している。

 台風9号が関東地方を直撃し、多摩川沿いに点在する仮小屋村が瞬く間に崩壊した。濁流に呑まれる仮小屋、中洲に取り残されたおっちゃん達、それを必死に救助する消防隊、今回は都会においては一般の被害がそれ程でもなかったからか、マスコミがこぞって同じ映像を流し続けた。荒れ狂う川の中ですら、「そっとしておいて欲しい」と云う俄には信じられない拒絶反応に、これまた特異なものを見るまなざしで。
 そして、仮小屋の再建まで報道し、そして何事もなかったかのよう報道からは消え去った。
 当初、避難勧告がなかったのではないかと関係機関の責を問う論調が示されたが、残念ながらマスコミよりも関係機関は仮小屋村の存在を周知しており、国土交通省また警察は事前に危険を各戸に知らせていた事が判明し、「行政の対応の遅れ」と云うマスコミが好んで使う批判はあまり聞かれなかった。そして、おもしろい事に、避難勧告が出されていたのも拘わらず、逃げ遅れ、消防隊に救出され(しかも当初は拒否までした)たおっちゃん達個人にも非難の目はあまり向けられず、まったく何がどうなのか中途半端なまま事態は推移し、そして見事に終わったかのよう幕が下ろされた。
 
 問題を整理してみよう。まず、河川にしろ、公園にせよ、仮小屋やテントを建てて暮らさざるを得ない状況を長年に亘って放置(もしくは有効な手だてが立てられない)してきた社会がまず問われなければならないのではなかろうか。かつて言われ続けて来た「路上生活者を救済する法的根拠がない」と云う論理はご存知の通り、今は通用しない。国会の全会派で一致した「ホームレス自立支援法」が時限立法とは云えあり、路上生活者への自立の支援は行政機関の責務となっている。
 有効な自立支援策を提示し、関係性を続けながらも尚、居続けているのであればそれは別の問題ともなろうが、こと多摩川河川敷の仮小屋と限定して考えてみれば、東京都市部、東京都区部、また神奈川県川崎市等が、多摩川河川敷に暮らす路上生活者(仮小屋生活者)に対して有効な自立支援策を提示した事実はない。この答えは簡単で、彼、彼女らが暮らす管轄のほとんどは国土交通省管轄であり、お得意の縦割り行政故に、積極的な支援対象地域になりづらいからである。東京都23区内で実施されてきた「地域生活移行支援事業」(都自らがテント層の路上生活者にとって有効であると言明した)は、最初は都立公園から開始され、一部の区立公園をはらみながら都管轄の河川(隅田川)を対象地域にしながら進められ、そして今年度で、国河川は結局は対象にしないまま終了する事を見ても、この地域(または荒川、江戸川等国河管轄河川敷)に対する熱意のなさは特筆している。
 次に社会的資源活用の連携不足である。今回、避難勧告が出されたものの、豪雨と強風の中、どこへ逃げれば良いのか?と云う問題がある。しかし、避難場所はあったのである。ある程度のキャパが確保できる緊急一時保護センターは丁度多摩川沿いにあるし、都内には同様の施設が5ヶ所もあり常に一定数のベッドは空いている。また、周辺には民間の宿泊所も点在しており、100名規模ならともかくとして数十名規模なら十分に活用は可能でもあった。前例がないとおっしゃりたい方には良い前例をお示しできる。98年2月の新宿駅西口地下広場火災の時には、都区共同冬季臨時宿泊施設(当時の)「なぎさ寮」に被災者救援の名の元に170名前後の路上生活者を新宿区と協力して臨時入所させた経緯があり、この時主導したのは他ならぬ東京都福祉局である。今回、台風が過ぎ去った後、緊急一時保護センターや民間宿泊所に一定数の路上生活者を入所させている事実はあるものの、危険が十分に察知される事前、退去勧告の時に何故このような体制が組まれなかったのか?まさに連携不足の誹りは免れようもない。事前の避難勧告と避難場所の確保さえ組めれば、今回のような救出劇は最小限に収まったことであろう。
 更に関係性の問題である。社会から孤立させるのではなく、社会に包摂しようと巡回相談センターと云うものが東京23区では昨年から開設され、巡回相談が開始されている。民間団体が長年に亘り実施してきた「パトロール」「夜回り」の効果に触発され、厚生労働省が方針化し、各自治体が近年実施し始めた経緯もあり、東京都も遅ればせながら実施をしているのである。これ事態がほとんど知られていない事もまた困りものではあるが。さて、多摩川河川敷に限定して話をするならば、この地域は残念ながら民間の支援団体は活動をしていない。ならば、巡回相談がもたらす情報がある意味唯一の前向きな情報の筈である。もちろん他の河川管理者、また地元警察官の警ら等でも接点はあろうが、それは、それぞれのセクションに基づくものであり、時に管理的になるのはこれは致し方がない。路上生活者対策と云う前提で実施されているのは、巡回相談員による接点であり、福祉情報等、困窮した時の対応をいかにしていくのかの生活情報の根幹でもあるこの線を強くしていかなければ、なかなか心など開いてはくれない。結局はここの関係性が弱いから故に、今回、救出に来ても拒否すると云う異例の事態に陥ったものと考える。もちろん巡回相談員の個々人は委託事業なので民間団体の職員であり、熱心に仕事をしているのを私たちも知っている。彼らの資質の問題ではもちろんなく、河川敷の路上生活者に対し、どのような情報を提供し、どのような頻度で訪問をかけるのか、緊急事態の場合はどこと連携し、どのように対応するのか等をプログラムし、統括する都区の問題である。

 天災、人災に巻き込まれると、もっとも弱い立場に陥る人々が路上生活者でもある。その事を一時たりとも忘れてもらいたくはない。
 今回被害を被った仲間と話す機会があった。彼はわずかなお金も含めて全てを失った。「もう二度とこんな目には合いたくはない」。その表情に、9年前、新宿の悲劇の渦中にいた仲間の顔を重ね合わせた。                           

(笠井和明)