第12回新宿メーデー

全都350名の結集で元気よくたたかい抜かれました。

同日、都庁との交渉、しかしゼロ回等に仲間の怒り炸裂

都庁に提出した要望書全文

 夏日に近い好天に恵まれた5月1日、今年も野宿の仲間のメーデーが新宿区柏木公園で開催されました。
 集会にはご当地新宿の大部隊の外、池袋、山谷、上野、隅田川、三多摩の野宿の仲間、そして支援者も各地から集まってくれ全都の野宿の仲間が一同に会し、都庁へ、そして社会に「もの申して行く」メーデーとして今年もおおいに盛り上がりました。参加者は全体で350名。昨年よりも多めの結集に「路上生活者の数が減ったと云う東京都の発表は本当かよ?」との声もちらりほらり。各地の仲間の話を聞いても、確かにテントは減っているかも知れないが、日雇い仕事が減る端境期に入り仕事を求める仲間はここ最近また増えているとの事。結局は東京都が施策を打ってもそれは一部の仲間の恩恵にしか過ぎず、圧倒的多数の仲間は未だ厳しい野宿生活を余儀なくされると云う構造はまだまだ変わっていないと云う事が今回のメーデー行動に参加してくれた仲間の実態が明らかにしてくれました。
 メーデー集会は冒頭連絡会の仲間より「野宿を強いられている事から生ずるさまざまな課題を各地の仲間の知恵と勇気で打ち破っていこう」「屋根と仕事を求めるたたかいを行政にもっと要求していこう」「各地での排除、差別襲撃を許さない仲間のつながりを作り出していこう」と集会の基調が提起され、全体の拍手で確認されました。
 続いて参加してくれた団体からの決意表明。山谷争議団/反失実の仲間はこの間の隅田川での排除とのたたかいの報告、そして「仲間一人ひとりの創意工夫と仲間の団結こそが必要」とアピールしてくれました。続いて池袋連絡会の仲間が池袋駅を中心にした流動層を中心としたたたかいの困難性と行政施策の必要性をアピール。新宿連絡会の仲間は、この間の行政闘争の報告と地域生活移行支援事業が今年度未だ何も発表されていないなど行政施策の遅れを痛烈に批判。そして最後に三多摩ネットワーク八王子支部と新たに発足した夜回り三鷹の会の仲間が三多摩地区を代表して、区部とは違い何も施策がない三多摩の現状と、炊き出しさえ妨害してくる行政の態度を批判し、各地で孤立している仲間をつなげていく取り組みの必要性を訴えてくれました。
 (ちなみにこの間、毎年参加していた「渋谷のじれん」は、『「事業を推進」しようとするメーデーに私たちは参加することはできない』と新宿連絡会を中心とする対行政闘争を全面的に否定する見解を発表しメーデーに参加しませんでしたが、代々木公園の仲間など渋谷地区の仲間も個別に参加してくれました。)
 各地の仲間のアピールに続いて、「フリーターメーデー救援会」の仲間が緊急アピール。4月30日のフリーター労組主催の「自由と生存のメーデー」で3名の仲間が弾圧を受け不当逮捕された事、不安定雇用の若者も生存権をかけて共にたたかっている事が報告され、逮捕された仲間を早期に奪還させようとの緊急アピールに大きな拍手が巻き起こりました。
 集会の後は隊列を整え、都庁に向けたデモの出発です。野宿の仲間のデモは怒りを内に込めたデモです。プラカードを掲げ、拳を挙げ、いつも俯き加減で一人で歩く新宿の街を今日は仲間と共に胸を張り歩きます。丁度昼時の通行人は雰囲気の違うデモ隊に興味津々。かつては指を指して笑われていたデモですが、これだけの仲間が集まり整然としたデモをする姿に誰一人侮蔑の声をかける人はいません。「そうか、メーデーか」「ホームレスもね〜」そんな会話が聞こえてきました。
 都庁の前では元気よく「石原は俺たちの声を聞け!」とシュプレヒコール。ここで新宿連絡会、池袋連絡会は都庁福祉保健局との交渉が予定されているので、5名の代表団を送り出します。仲間の代表団に万来の拍手が送られ、代表団は仲間の声援を受け交渉に入りました。
 デモ隊列は再び動き出し、解散地点の新宿中央公園へ。体力のある者には短いデモコースだが、多くの仲間に取っては長いデモを精一杯声を枯らして歩き、充実感溢れながら最後の声をかけます。「メーデーをたたかったぞ!」「メーデーをたたかったぞ!」

 この自信が明日への糧になるよう、各地の仲間、そして新宿の仲間はこれからも静に動にたたかい続ける事でしょう。

代表交渉はどうなったのか?

 代表団交渉は予定を大幅に超え1時間を過ぎても戻って来ません。これは難航と思いきや、ようやく代表団が戻り、「どうなった?」と気になり残っていた仲間の前で報告会を開きます。
 「結果はゼロ回答です」
 代表団長の第一声に、「なんだそりゃ?」「ふざけんな!」の声が。
 その後、詳細が報告されましたが、東京都福祉保健局は要望書の中身すら理解しておらず、挙げ句の果てに「説明会って何ですか?」と質問してくる始末。しかも、路上生活者対策の「連絡調整担当」の仕事すら理解していないようで、挙げ句の果てには「この問題は国に言って下さい」「この問題は特人厚に言って下さい」とたらい回し。地域生活移行支援事業はいつ始まるのか?メドはどうなのか?との仲間の最大の感心事に対しては「都区と協議中である」を壊れたレコードのように繰り返すだけ。代表団長、ついに机を叩いたとの事であるが、それでも「都区と協議中である」との官僚答弁。
 「連絡会史上最低最悪の交渉」と思わず名づけたくなる程のふざけた内容であった。
 1997年、東京都がようやく連絡会を交渉団体と認め、話し合いのテーブルについた時から、様々な課題についてこれまで議論を重ねて来たが、今回のような官僚答弁に終始した交渉は今の一度もなかった。まるで「対策は俺たちが決めるのだから、お前らは黙って従っていれば良い」と言わんがばかりの対応をされたのでは、これまでの経緯も含め、すべての前提がひっくりかえると言うものである。
 「まだまだだ!」「再交渉だ!」都庁の態度に仲間は怒り心頭。引き続き都庁をターゲットにたたかいを進めて行く事を確認しあい、報告会は代表団の労をねぎらいながら終了しました。