第12次越年の取組みが無事終了しました。

異常気象の厳冬となりましたが連絡会は仲間の命を仲間の力で引き続き守り続けます。

 日本列島に大寒波が居座り20年ぶりの冷冬と云われる05-06年冬、東京地方も年末近くに記録的な寒さを刻印する中、どうなる事やと思いながら進めた05-06年第12次新宿越年の取り組みは、何とか無事に年を越す事が出来ました。様々な形で越年の取り組みにご協力頂いた全国の皆さんに御礼を申し上げます。

 年末に備え、連絡会では12月11日からトータル1000枚の毛布の無料放出を始め、また11日、25日と冬期医療相談を実施し年末に備えて来ました。また新宿区とも再三に亘り話し合いを続け、厳冬期無料宿泊事業の継続そして枠の拡大を求め、今年度も目標のトータル500名枠を超える宿泊枠を確保する事に成功しました。15日と22日厳冬期大田寮の受付が実施され、例年よりも多い80名の仲間が年末年始の「避難」を果たしました。
 それでも現行の路上対策の限界の中、400名近い仲間が新宿の地で越年を余儀なくされます。
 12回目となる新宿越年は中央公園ポケットパークにテントを三つ設置し、それぞれ医療、炊き出し、宿泊のための拠点を築いていきます。炊き出しはこちらから山谷へ部隊が出向き、山谷の仲間と一緒に飯を炊き、昼飯、晩飯のおかず作りは中央公園で行うと云う形で700食前後の晩飯を提供します。夕方、新宿駅周辺などから集まる仲間に対し、衣類物品の提供、医療相談の実施、コンサートや映画会の開催を集中して行います。
 また、晩飯後は三々五々散らばって行く仲間の元へパトロールを実施します。行政施策の利用方法など情報提供を書いた「チラシ」と「ホカロン」を持ち、一人ひとりの起きている仲間に声をかけ、急病人がいたら救急搬送もしくは医療テントへの搬送を行い対応をして行きます。
 そんな関係もあり医療テントは24時間のローテーションで医療従事者が詰め、万が一の場合に備えます。
 これらの作業は医療など専門性の高い分野を除けば、主な実行部隊は野宿の仲間、元野宿の仲間が主流となります。通年的に炊き出しを手伝ってくれている仲間、毎年越年期だけは仲間のためにとわざわざやってきてくれる仲間、たまたま中央公園に流れ着き意気を感じて飛び入り参加してくれる仲間、そういう仲間達の協同作業が新宿ならではの越年風景です。
 今年中央公園、戸山公園のテント層の仲間がアパートへ移った(地域生活移行支援事業の)関係で定住層の仲間が大分減り、駅周辺で寝ている流動層の仲間がそのまま残っていると云う構図の中、駅周辺やその他の地域の流動層に強く呼びかけ、そこにパトロールを集中する越年となりました。人数的にも落ち着きを見せはじめた新宿の地ですが、残された課題はまだまだ大きく、そこへのチャレンジを強く決意させられました。
 幸いにして気温は低いものの2日に雨が降った程度で気候の大荒れはなく越年期間中は私たちが確認する限りで路上死は確認されませんでした(救急入院はありましたがいずれも命に関る程の重篤な状態ではありませんでした)が、明けて7日、新宿西口で新しく来たと思われる仲間が凍死すると云う事態が突きつけられました。パトロール網をくまなく張り巡らせる初期型活動の再実践が求められているとも云えます。パトロール班では早速年明けから臨時パトロールを波状的に行い情報網の再構築に向けての実践に踏み出しています。
 拠点の維持に関しては炊き出しに並ぶ仲間の数が例年よりも減っては来たものの、狭いポケットパークからはみ出さずに丁度良い程度の人数で、それぞれの活動を和気あいあいと実践をしました。娯楽関係も大須賀ひできさん、ラビィサリの皆さん、病み上がりにも関らず駆けつけてくれたクーペさん、異様な盛り上がりを見せた越路姉妹の皆さん、そして恒例の五十嵐正史とソウルブラザーズの見なさん、梅津和時さんと史上最多の5組の方が参加して頂き、楽しい年越しコンサートとなりました。また、年明けの餅つき大会時にはこれまた長いおつきあいのさすらい姉妹の皆さんによる路上劇も多くの仲間が楽しんでくれました。

 12年来の力は十分に発揮できましたが、13年目からの課題も大きく浮き彫りにされた今回の越年は、1.24強制排除事件10年目を迎える今年、連絡会運動の大きな転換を示唆するものでした。この地平から新たな取り組みを私たちは再び続けていきます。
 冬まだ厳しい中、越冬後期の取り組みは既に始まっています。今後とものご支援を宜しくお願い致します。

(笠井和明)